『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』第7話、現実の重さと夢の熱がせめぎ合ってた(感想)(ネタバレがあります)

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第7話、久部三成(菅田将暉さん)の“勢いだけで走る青春”みたいな熱さと、周りの大人たちが感じている現実の重さがぶつかり合ってて、見てる側も胸がぎゅっとした。
1984年の渋谷・八分坂の空気はいつも少し湿ってて、夢と不安が混ざる匂いがする。
その中で久部が無理やり前だけ向こうとする姿は眩しいのに、ちょっと不安もセットで押し寄せてくる感じだった。

観客が来ない…でも久部は止まらない

「夏の夜の夢」初日から1週間。
客足は伸びず、売り上げは目標の半分以下。
それなのに久部(三田将暉さん)は疲れを見せないどころか、「来週は『冬物語』をやります!」って目をさらにギラつかせてくる。
大御所俳優・是尾礼三郎(浅野和之さん)を迎えての稽古は熱量がすごくて、舞台裏の空気がじりじり伝わる。
だけど客席が埋まらない現実はしんどい。
“夢だけじゃ食えない”って声が聞こえそうなのに、その声よりも久部の向こう見ずな情熱のほうが強く響く。
そのアンバランスさが完全に青春だった。

浅野夫妻の現実逃避と、久部の勢いに押される瞬間

支配人の浅野(野添義弘さん)と妻のフレ(長野里美さん)はとうとう「逃げるが勝ち」モードへ。
売上金を持って田舎へ帰ろうとする流れがリアルすぎて、胸がきゅっとする。
でも久部(三田将暉さん)が「是尾礼三郎の復活は大ニュースなんです!」って必死に語る姿に、浅野が揺れる瞬間があった。
夢にすがるというより、“この若さの勢いを信じたい”って気持ちが滲む表情がよかった。
結局「もう一度、あんたに懸けてみる」って言う浅野の声に、希望と諦めが同居してて切ないけど温かい。

SNSの反応が三方向に分かれてて面白い

放送後のSNSは、まるで群像劇みたいに意見がバラバラで、それが逆にドラマの特徴を浮きあがらせてた。
「現実は厳しい、でも諦めきれない」って久部に重ねる声もあれば、「久部に感情移入できない」って距離を置く声もあり、混ざり合う感じが生々しい。
語り手を使った時間の表現が“シェイクスピアのオマージュだ”っていう意見もあって、そこは確かに演劇っぽい構造が光ってた。
そして「話がとっ散らかっていく」って声もあって、群像劇ゆえの複雑さを感じてる人も多かった。
作品自体が“多方向に転がる青春”だから、その反応の多さすらドラマの一部みたいだった。

キャラたちの濃さも話題に、泣き笑いの声が続々

特に盛り上がってたのが、倖田リカ(二階堂ふみさん)と江頭樹里(浜辺美波さん)の掛け合い。
この2人のテンポ感、ほんとクセになる。
トニー安藤(市原隼人さん)の覚醒や、大水洋介さん演じる“はるお”の流れに泣いたって声も多かったし、フォルモン兄さん(西村瑞樹さん)で泣く日が来るとは…という驚きのコメントもじわっと共感できた。
キャラが多いのに誰かひとりが埋もれないのは、三谷作品の強さなんだろうなって感じる。

エンディングの「劇上」が刺さりすぎて反則レベル

YOASOBIの「劇上」が流れた瞬間、ドラマの余韻がそのまま音になったみたいで鳥肌が立つ。
SNSでも「シンクロしすぎ」「余韻がすごい」って絶賛されてたけど、ほんとそれ。
演劇の熱と渋谷の夜のざわめきと青春の叫び全部が音の中に溶けていく感じがして、エンディングだけで感情がもう一回揺さぶられる。
音楽が物語の一部になってるってこういうことなんだなって思わされた。

まとめ

第7話は、夢と現実の温度差に心を揺らされる回だった。
久部(三田将暉さん)の無謀なほど真っ直ぐな情熱は眩しいけど、周囲の大人たちが背負う現実の重さもちゃんと映ってて、その対比が切なくて愛しい。
キャラの濃さと群像劇の雑多な熱気が、渋谷の街の騒がしさと重なって、見終わったあとも余韻が抜けない。
そして「劇上」の余白が全部を包んでいく感じがたまらなかった。
この物語、まだまだ全部がどこへ向かうのか読めないのが最高に刺激的。
(りりたん)

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