小さい頃は、神様がいて|第2話“母である前に私でいたい”あんの涙に賛否渦巻く(感想)(ネタバレがあります)

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2話、空気がやわらかいのに、心の奥をぐっと掴まれる回だった。
小倉あん(仲間由紀恵さん)の涙が、静かに画面の温度を変える。
「私は母として生きるためだけに生まれてきたわけじゃない」――この一言、心臓に刺さった人、多かったと思う。
渉(北村有起哉さん)の不器用な沈黙と、あんの正直な痛み。
誰が悪いわけでもないのに、2人の距離がもう戻らない感じが切なかった。
家族の形って、誰かが我慢しすぎた瞬間に壊れるんだなって実感した。

仲間由紀恵さんの“あん”が語る、母であることの重さ

あん(仲間由紀恵さん)が泣きながら語るシーン、声が震えてるのに、ひとつひとつの言葉がまっすぐ届く。
「母という存在以外、何にもなかった」「なんで私は自分を我慢しなくちゃいけないの?」――どれもリアルすぎて胸が詰まる。
母親を神聖化する空気の中で、誰もが口に出せなかった本音を代弁してくれた感じ。
仲間さんの演技、感情を爆発させるんじゃなくて、静かに崩れていく。
その繊細さが余計に痛い。
SNSで「わかる」「泣いた」って声が多かったの、ほんと納得。

渉(北村有起哉さん)の“優しさの限界”

渉(北村有起哉さん)の不器用な優しさが、見てて苦しかった。
永島慎一(草刈正雄さん)を巻き込んでまで気まずさを避けようとするあたり、もう逃げ癖の塊。
でも彼の「できる範囲で頑張った」っていうあんの言葉がすべてを物語ってる。
頑張り方がずれてるだけで、愛がなかったわけじゃない。
北村さんの表情、何も言わない時間に感情が溢れてて圧倒された。
夫婦の崩壊を、派手な喧嘩なしで描くのが逆にリアルだった。

永島夫妻(草刈正雄さん&阿川佐和子さん)が見せた“大人の距離感”

1階の永島夫妻が、まるで鏡みたいな存在だった。
慎一(草刈正雄さん)は茶化すように見えて、実は全部見抜いてる。
さと子(阿川佐和子さん)の「やっぱり離婚するの?」のひとことが、軽く見えて核心。
この夫婦、長い時間を共にしてきた“静かな余裕”がにじんでて、あんたちとの対比が切ない。
草刈さんと阿川さん、会話の間の取り方が絶妙で、そこに人生の重さがある。
若い夫婦とベテラン夫婦、対照的だけどどちらもリアルだった。

「母である前にひとりの女性」――視聴者の賛否の声

この回、SNSの反応が真っ二つ。
「よく頑張ったよ」「気持ちわかる」っていう共感派と、「勝手すぎる」「母親なら我慢も必要」っていう否定派。
どっちの意見も分かるからこそ、ドラマとして成立してる。
あんの言葉は正しいか間違ってるかじゃなくて、“生き方の悲鳴”なんだと思う。
母親をやめたいわけじゃなく、自分を取り戻したいだけ。
仲間由紀恵さんがその揺れを丁寧に演じてくれるから、賛否込みで見応えがある。

“レトロマンション”が映す家族の縮図

舞台のマンションが、時代を超えた“人間模様の箱”みたいで印象的。
それぞれの部屋に、それぞれの悩みと愛がある感じ。
岡田惠和さんの脚本らしく、静かで、でも心を刺すセリフが多い。
日常の中に潜む“生きづらさ”を、ほんの数行で描く力がすごい。
どの家も完璧じゃないけど、どこか愛おしい。
この作品の温度、じんわり体に残る。

まとめ

2話は、誰かの人生に必ず重なる“痛みの回”だった。
小倉あん(仲間由紀恵さん)の涙は、母として、女性として、ひとりの人間としてのSOS。
渉(北村有起哉さん)の不器用な愛情、永島夫妻の静かな観察。
それぞれの視点が絡み合って、家族というテーマを立体的に見せてくれた。
「母である前に私でいたい」――その言葉の重さが、ずっと心に残る。
静かなのに、強い。そんな回だった。
(みかんてぃ)