小さい頃は、神様がいて 第5話 感想文(ネタバレがあります)― ―「天使は離婚を知っていた」家族の沈黙と小さな勇気

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日常に潜む「言えない想い」

第5話を観て最初に感じたのは、まるで静かな波紋のように「言えなかったこと」「見えなかったこと」が揺れ動いているということです。
シニア夫婦・永島慎一(草刈正雄)とさとこ(阿川佐和子)が孫ふたりを迎えて暮らし始めるといった温かな舞台。しかし、住人たちの交流の裏側では、息子・順(小瀧望)が抱えていた長年の「家族の事情」、母・あん(仲間由紀恵)の胸の内、父・渉(北村有起哉)の自責の念が、静かに手招きします。
そして夜、同窓会へ出掛けたあんが帰宅した翌朝、凛(和智柚葉)が姿を消す――この事件がきっかけで、家族の“見えない亀裂”が徐々に露わになっていきます。

良かったこと

子どもが見抜く大人の静かな嘘

順というキャラクターが本当に印象的でした。消防士になったという理由を語る夜の場面で、母・あんが「何か引っかかる」と感じる瞬間。順は、幼い頃から家庭の空気を読み、「母を安心させる」という役割を無意識に背負ってきたのではないか―そんな読みが自然に浮かびました。
このドラマでは、子どもが“ただ無垢”ではなく、“察していた”という構図がきちんと描かれていて、親として、家族としての責任と影の重みを感じさせてくれます。

場面の切り替えと余白の活かし方

「たそがれステイツ」に住む住人たちの何気ない日常(ラジオ体操、映画撮影、帰省パーティー)と、夜に起こる事象(同窓会、凛の失踪)が交錯する構成が秀逸でした。
特に、凛が家を抜け出した朝、「静かな坂道」「階段に腰掛ける背中」というカットが入ることで、“子どもの視点”という余白が生まれ、その背後にある大人の事情がより際立ちました。

気になった・もう少し欲しかった部分

あんの内面変化の描き方にもう少し丁寧さを

あんが同窓会への参加を迷い、渉とのやり取りの中で「行けばいいじゃん」という渉の言葉を受けて内側に響くものがあった、という筋は伝わってきました。ただ、その“気づき”や“揺れ”の過程が、もう少し丁寧に描かれていたら、視聴者として「この瞬間のあんの変化」をもっと深く感じられたように思います。

ラストの緊張の一歩手前で終わった感覚

凛の失踪という衝撃的な展開が登場した一方で、「なぜ凛は出たのか」「どこへ向かったのか」という問いが残ったまま幕を閉じました。次回以降の展開を期待させる導入としては良かったのですが、一瞬「緊張に持って行くための前振り」に終わっていた印象もあり、そこに少しだけもどかしさも感じました。

感想まとめ

第5話は、「家族という名の安心」が実はとても“薄くて揺らぎやすいもの”であることを、優しくしかし確かに刻んだ回でした。
順の「天使性」、あんの“気づき”、凛の小さな逃避、慎一・さとこの包容力――それぞれの行動や表情が、言葉以上に多くを語っていたと思います。
「神様がいた」思い出としての子ども時代、その中にあった“守られている安心”は、いつしか“自分で守らなくては”という責任に変わっていた。第5話では、その“変化”の境目が優しく、しかし確実に描かれていました。

今後への期待と考察

これから特に注目したいのは、凛の行動の意味と、順の抱える秘密の輪郭です。
なぜ凛は夜明け前に家を出たのか、あの坂道や階段に座った彼女の背中は何を探していたのか――子どもたちを通じて、大人たちにしか話せないことが“見えてしまっていた”という構図がとても強く残りました。
また、あんと渉の“言わなかった約束”や“見て見ぬふり”という関係性が、いよいよ表面化してきた気がします。
このドラマは、ただのホームコメディーではなく、「誰かを守りたいと思った瞬間、守る側も揺らぐ」という人間の核心を描いているように思えます。第5話は、その核心が少しだけ顔を出した、転換点の一歩だったと感じます。
(あいちゃん)

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