『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第40回、歌麿の“欲”が静かに燃える(感想)(ネタバレがあります)

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第40回は、静かな炎みたいな回だった。
蔦重(横浜流星さん)と歌麿(染谷将太さん)の関係が、ただの商売仲間とか師弟とか、そういう言葉じゃ説明できない。
「尽きせぬは欲の泉」って副題が、見終わってからじわじわ沁みてくる。
心の奥に残るのは、絵への欲と、もう一つの“欲”の気配だった。

蔦重(横浜流星さん)の再起と、江戸の出版界の現実

身上半減の刑を受けてもなお立ち止まらない蔦重(横浜流星さん)。
財産を半分失っても、目が死んでない。
古い版木を再利用して「再印本」を出そうとする発想が、まさに生きるための知恵って感じ。
でもそれは同時に、時代の流れに抗う苦しさの裏返しでもある。
周りの店が定信(井上祐貴さん)の政策に合わせてお行儀のいい本ばかり出す中、蔦重だけは違う匂いを放ってる。
“面白いものを世に出す”という意地が、痛いほど伝わる。

歌麿(染谷将太さん)の“描かない理由”と封印された想い

栃木で一人絵を描く歌麿(染谷将太さん)の姿、孤独というより鎖みたいだった。
亡き妻・きよへの思いが強すぎて、「もう女は描かねえ」と決めてしまった彼。
でもその言葉の奥には、描きたいけど描けない痛みがある。
蔦重が会いに来て、「お前の絵が好きなやつは、お前が描けなくなることは望まねぇ」と言うシーン。
あの一言で、息が止まるほどの静けさが画面を包んだ。
“欲を取り戻せ”という蔦重の願いが、愛にも似た熱を帯びてた。

二人の距離、触れそうで触れない空気の重さ

江戸に戻ってからの二人の距離感が、見てて苦しい。
蔦重(横浜流星さん)が昔みたいに肩に手を回すと、歌麿(染谷将太さん)はすっと身を引く。
その時の表情が、拒絶じゃなくて“怖さ”の混ざった複雑な目。
煙管を持つ手を観察するような視線には、創作への情熱と、抑えきれない感情の両方が揺れてた。
「肩が凝っててさ」っていう言い訳が切なすぎる。
染谷さんの細かい演技が、言葉よりも多くを語ってた。

“欲”という言葉の二重の意味

政演(古川雄太さん)に「歌さんはどうだい?」と聞かれた時の、「欲なんて、とうに消えたと思ってたんだけどなぁ」。
この一言にすべてが詰まってた。
絵への欲も、人への欲も、消そうとしても消えない。
そのあと瑣吉(津田健次郎さん)が「歌麿には男色の相がある」と話す場面が、意味深に重なってくる。
あの“欲”は、蔦重への想いでもあるのかもしれない。
理屈じゃなく、どうしようもなく惹かれてしまう関係。
タイトルの「尽きせぬは欲の泉」は、まさにこの二人のことだった。

視聴者の反応が示す“静かな熱”

放送後、「歌麿の欲は絵のことだけじゃない」「まだ蔦重に惚れてる」「切なすぎる」って声が多かった。
見てる側も、二人の関係に恋してしまう感じ。
派手な展開じゃなくても、視線と間の積み重ねで心が揺さぶられる。
森下佳子さんの脚本の言葉が、まるで和紙の繊維みたいに繊細で強い。
静かな場面なのに、感情の厚みが何層にも重なっていた。

まとめ

第40回は、“欲”の意味を問い直す回だった。
生きるための欲、描くための欲、そして愛するための欲。
蔦重(横浜流星さん)と歌麿(染谷将太さん)は、互いの存在でしか燃えられない炎を持ってる。
触れられない距離の中で、心だけが寄り添う。
その美しさと切なさが、画面を超えて残った。
静かに燃える欲ほど、忘れられない。
(ゆめのん)

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